Sunday 2 October 2011

エベレスト登頂へ向け登山中の登山家、栗城氏のことを知りました。『生きてこそ』


先日、
山岳カメラマンの木野広明氏がエベレストの
ベースキャンプで亡くなったというニュースを知り
私は、山岳のことは無知ですが
なぜか頭にずっとこのニュースは残っていました。

その後、偶然友人に登山家栗城氏のことを聞き、

今日現在、あと数日でエベレスト単独登頂というところまで登られたらしく、
もっとも酸素が薄く、
その分重力の負荷を感じやすく、
同時に毎瞬滑落するリスクと闘いながらの大変危険な状況で
登山をされているということを知りました。


栗城氏のプロフィール
http://profile.ameba.jp/kurikiyama/

http://everest.kurikiyama.jp/profile/



~栗城氏のプロフィールより~



“夢や目標といった、人にはそれぞれの大きな山が立ちはだかる。その山に向かえば、失敗や挫折が待っているかもしれない。しかし挫折や失敗があったとしても、挑戦している限り自分に負けることはない。だがこの混沌とした世の中で、夢も希望も持てなくなってしまった人が沢山いる。その人達と共に、見えない大きな山に挑戦し成長していきたい。それが「冒険の共有」である。”




“「国境も限界も自分が作った錯覚である」これは僕が山を登ってきて得たこと。”


“出発直前まで山の先輩から「無理だ」「できない」という言葉をもらっていた。

だがマッキンリーの頂上に一人たった時に、自分の心の中にあった「もう無理」「できない」という心の壁が取れ、

それは自分自身が作った錯覚であるということに気が付いた。

多くの人がこの錯覚の中で生きている。

エベレストの冒険の共有は、僕だけが登る山ではない。

見ている人が自分の中のエベレスト(目標や夢)を感じ、共に登って行くこと。

一歩ずつ、共に山を登って行きたい。 ”

              



そして、昨日(10月1日)のブログも考えさせられる内容をお書きでした→
http://ameblo.jp/kurikiyama/archive1-201110.html
 
「生きてこそ。。」(亡くなった木野カメラマンも、実はこの栗城氏の
           撮影サポートに行かれていた方でした。
           栗城氏の心情、目の前での仲間の死、すべての方の応援、自分の夢、
           全てを含め、計り知れない思いがあるのでは。)
 
 
私も、
本当に人と分ち合うこと、共有すること、ということって何なんだろう、と考えてきましたが、
 
この10月1日のブログを読んで感じたことは、
究極のところでは、本当にひとと共有するには、
本当に深く自分を大事にすることなのでは、と感じました。
ほんと、難しいですが。。
 
自分を知っている深さでしか、その深さ分しか
ひとのことは理解できないだろうし。
 
 
 
 
世論、周囲の応援、期待に応えようと、その感情に呑まれ、判断を間違え、
一歩を踏み外すと、
自分の命がなくなってしまうリスクのある
いつも他人の判断にゆだねられず、
自分の感覚を目覚まして置かなければいけない
逆説的な状況で、
栗城氏は、本当に大変厳しく、過酷な現場におられると思います。
 
 
無事に登頂できますことを
お祈りしつつ。。
 
 
 
Ps*
 
同時に、タイムリーに地下鉄の中で見つけた宣伝♪
 
“決して探検を止めない(諦めない)で!”
 
 
自分もちょうど、へなへな弱気になっていたときだったので(笑)
これが目の前に出てきた時、ドキッとしました。
 
 
 
そして見守ってくれている力強い友人、周囲の方たちにも感謝しつつ。
わたしも自分の探検の道に戻ります☆
 

良い一日を~♪♪