Sunday 15 March 2009

'詩人たちの春' 、、での演奏を終えて。Apres le Printemps des Poetes
















無事、Cafeでの演奏が終わりました。
すべての詩(古典、ボードレール等から作った詩まで!)は
音楽みたいで耳に心地よく響きが美しかったです。

写真は詩でもフランスでSlam(スラム)と呼ばれる、
文末に韻をふみ続ける詩で、いろいろな引っ掛けの意味も加わり、、
(高度で難しい!私はフランス語まだまだ勉強しなければいけませんが!)
また身振り手振りも入り、あつい、迫力満点の詩の披露でした。

また、あるひとが朗読している途中、
周囲が口をそろえてその本も無いのに、一緒に朗読したり、、
=みんな暗記してるみたいです。
学校教育か、生活の中でよく触れられるのか、、
フランスで、こんなに詩が身近に存在しているとは知りませんでした。
発表された方たちも7,8歳の男の子から60代ぐらいまでで幅広く。。
世代に関係なく、詩は浸透しているみたいです。

日本でたとえば、短歌とか身近なのですかね?
源氏物語の時代はもっと身近だったのかな。。


演奏だけかと思っていたら、
「さあ、君の日本のHAIKU(俳句)の番だ!」
(さすがパリジャン、日本文化好きが多い!どっきりです。)
と言われ、ふいうちにびっくりし、
急に自分があまりにも俳句や短歌を知らないことに、焦って、
あたふたしていましたが、そんな私を見てか(笑)
「日本語の響きを聞きたいから、ほかのものでもいい」
と言ってもらえ、ちょうど持ち歩いていた、岡本太郎の
ピカソについて書いた本<青春ピカソ>のすごく共感するページ
(下記に書いた'私のプチ芸術論'と似た話)を読んだのでした。

そしたら、案の定、日本語に興味津々のフランス人たちは、
「'ピカソ'という言葉しか分からなかった。意味を要約して話してくれ!」
と言われ、

*ピカソのような天才でも、次に続く芸術家たちは、
 彼を神のように崇め奉ってしまうと、戦いを放棄したことと同じであり、
 同化、受身=創造ではなくなる。常に打ち壊していかなければならない。

*'創造'は芸術家だけのものではなく、鑑賞する側もまた、芸術家である。
 鑑賞する際、鑑賞する人の内部の変化、新たなものの創造、が芸術なのである。

など。。

と簡単に私なりに2点に要約してお話させていただきました。
そうすると、嬉しいことに、
あんなに、普段文句をいう、一般人でも芸術通のフランス人たちが、
「うん、うん」、、と皆、納得して、「いい話だ」と言って貰え、
嬉しくなったのでした。



いままで気付かなかった、フランスの詩の文化に
一歩近づけた嬉しい日でした。

私は、日本のいい所、文化、まだまだ知らなさそうです。
まずは、高村光太郎を探すぞ!と思っています^^